
岡野憲臣(28)、副島圭史(23)、相澤雅熙(24)、堀井教代(23)。日本UPA(UP Academy)のこの4人の青年は、韓国が秋夕の連休で浮き立つ時期に、家族のもとではなく「道」を選んだ。彼らがどんな思いでこの「徒歩精誠」を計画し、道中で何を感じ、到着後に何が変わったのか。TPマガジンは彼らの足跡を辿ってみた。〈編集部〉
Q. 徒歩精誠の日程を簡単に説明すると?
2025年10月5日午前8時、4人で牙山・鮮文大学キャンパスを出発しました。初日は約27km歩き、午後6時頃に平沢へ到着して、近くのチムジルバン(サウナ)で一夜を明かしました。2日目は朝7時に出発。雨の中を一日中歩いて39kmを移動し、午後11時頃に水原へ到着した頃には丸16時間歩き通しでした。この日は水原学舎で宿泊し、疲れを癒やしました。最終日の7日朝、再び水原を出発して16kmを歩き、午後6時頃、ついにソウル拘置所に到着しました。3日間で82km、真のお母様の御年と同じ道のりを、一歩一歩、精誠を込めて踏みしめた旅でした。
Q. どんなきっかけでこの精誠を企画することになったのか?
本来は秋夕の連休にUPAの後輩たちと米国に渡り、経済復帰活動を行う予定でした。少しでも真のお母様の役に立ちたかったし、精誠を尽くしたいという思いから立てた計画でした。しかし出国直前に「真のお母様が拘置所にいらっしゃる間は、しばらく静かに精誠を捧げよう」という意見があり、結局アメリカ行きを断念しました。長く準備してきたことだったので、正直とても残念でした。日本に戻ろうにも秋夕と重なって航空券が高騰し、行くのは不可能でした。そこで「だったらこの期間、韓国で自分にできる精誠は何か」を考え始めました。ちょうど徹夜精誠に参加した折、姸娥様が「秋夕期間は真のお母様の面会は不可能です」と語られました。その話を聞いた瞬間、胸が詰まりました。家族が集い、温かな食卓を囲む韓国の名節なのに、真のお母様はその時間をお一人で過ごされる―その事実が痛ましくてなりませんでした。それで直接お目にかかれなくとも、慕わしい思いを抱いて、歩いて拘置所までお伺いする精誠を捧げようと決心しました。「真のお母様を探して三千里」という冗談のような言葉でしたが、そこには切なる慕しさが込められていました。さらに天心苑で「小さな精誠でも今は必ず必要な時だ」と聞いた内容がよみがえり、決意はいっそう固まりました。こうして私の「徒歩精誠」は始まりました。

Q. 「徒歩精誠」は簡単な決心ではなかったはずですが、周囲の反応はどうだったか?
周りからは「車でも行けるのに、なぜわざわざ歩くのか」「他の方法で精誠を捧げた方が良いのでは」との声もありました。確かに誤りではありません。でも私の心はすでに定まっていました。どの方法よりも「自ら歩いて行く精誠」こそ、今の自分にとって最も真心のこもった表現だと感じたのです。膝をつく祈りでも心は伝えられますが、あの時の私は単なる祈りではなく、全身で捧げる精誠をしたかったのです。多くの兄弟姉妹が厳しい現実の中で疲れていたからこそ、誰かが少し「無謀」に見える挑戦を通して、わずかでも勇気と希望を届けたいと思いました。行動で示す信仰―それこそが真のお母様に捧げる最も率直な愛の表現だと信じました。躊躇はありませんでした。そんな中、出発地の牙山・鮮文大からソウル拘置所までの距離を計算してみると、驚くことに82kmでした。真のお母様の御年と同じ数字だと知った瞬間、全身に戦慄が走りました。これは単なる偶然ではなく、天が私たちの歩みに共にいらっしゃるという、確信を得ました。一歩ごとに天の父母様が共に歩まれる感覚がしました。この徒歩精誠がホーリーマザー・ハン真のお母様と霊界への小さな感動と希望となることを、何よりも孝の道となることを切に願いました。
Q. 歩きながら、どんなことを考えた?
何度も真のお母様を思い浮かべました。脚が痺れるたび、激しい雨に打たれるたび、自然と真のお母様のお姿が思い浮かびました。「真のお母様はこれまで、どれほど多くの苦痛の中で、身も心も堪えて来られたのか」「どれほど多くの涙で人類を抱かれたのか」。そう思うたび、私の痛みなど取るに足らないと感じました。今もどこか悪いところはないか、お食事は召し上がっているか―ただ少しでもその御心をお慰めしたい。その思いだけで歩き、その思いが最後まで私を支えました。そしてもう一つ、この徒歩精誠は私だけの決心ではなく、後に続く二世たちに見せたい信仰の足跡でもありました。真のお母様への愛が単なる感情ではなく「実践へとつながる人生」であることを、体で伝えたかったのです。
Q. 一番辛かった瞬間は?
正直、三日間ずっとつらかったです。中でも一番つらかったのは二日目でした。朝から晩まで絶え間なく雨が降り注ぎました。歩くたびに靴の中で水がちゃぷちゃぷし、最後の10kmとなった時には全身ずぶ濡れで冷たい風に晒されました。体は震え、脚は言うことを聞きませんでした。それでも不思議と、その時真のお母様をより深く思い出しました。「この苦痛が、真のお母様の歩まれた道の、ほんの一片でも似ることができるなら…」その思い一つが、私を再び立ち上がらせました。寒さも雨も止みませんでしたが、胸の奥では熱い何かが沸き上がりました。それは「慕しさ」であり、同時に「感謝」でした。その思いのおかげで、私は苦しい瞬間を最後まで耐え抜くことができました。


Q. 共に歩いた仲間についても聞かせてください。
苦しい瞬間ごとに、隣には仲間がいました。互いを励まし、苦労さえ「感謝」に変える小さな遊びを作りました。名付けて「感謝大会」。脚があることに感謝し、傘があることに感謝し、そして何より一人ではなく共に歩ける事実に感謝しました。そして一歩一歩、慕わしき真のお母様に近づいていることにも感謝しました。雨は降り続けましたが、私たちの口から感謝の言葉は絶えませんでした。濡れた靴の中でも笑いが生まれ、じゃんけんに負けた人が次の信号まで荷物を持つ「罰ゲーム」も旅の楽しさになりました。こうして小さなことから大きなことまで感謝を探していくうち、厳しい環境の中でも天の父母様の温かな愛が常に傍にあると感じられました。だからでしょうか、風雨の中でも心は限りなく温かかったのです。
Q. 徒歩精誠の途中、出会った人は?
多くの人に会えたわけではありませんが、事情を聞いた何人かの方がコンビニやカフェのクーポンを送ってくださいました。「応援します」「共に祈ります」。その短いメッセージがどれほど大きな力になったか知れません。道で孤独で辛い瞬間、そうした心遣いがまた一歩を進ませてくれました。見知らぬ方々の配慮の中に、天の父母様が私たちの旅を見守っておられる慰めを感じました。この場を借りて心から感謝申し上げます。皆さんの心が、私たちの精誠の歩みを天の微笑みのように照らしていました。
Q. 最も印象に残る瞬間は?
二つが今も鮮明に記憶に残っています。一つは40km地点を過ぎた時、もう一つはソウル拘置所に到着した時でした。40kmを越えた時、「まだ半分も残っているのか」という絶望感が押し寄せました。歩いてきた分と同じだけ、また遠い道を行かねばならない現実の前で、身も心も限界を超える必要がありました。けれど不思議と、そういう時こそ真のお母様が思い浮かびました。肉体の苦痛を超え、天の父母様のみ旨だけを歩んで来られた真のお母様の生涯を思うと、「放棄」という言葉は一瞬たりとも脳裏に浮かびませんでした。むしろ静かな決意が刻まれました。「この道の終わりで、必ず真のお母様への孝情を捧げよう」そしてついに拘置所の前に到着した時、それまでの疲労と感情が一気に込み上げました。ここまで歩いてきたという達成感よりも、人類の母であられる真のお母様がここにいらっしゃるという事実が、あまりに悲しかったのです。塀の向こうにいらっしゃる真のお母様を思い浮かべた瞬間、慕しさが涙となってこぼれ落ちました。「お母様、ご無事でしょうか…お寒くはないでしょうか…」その思い一つで、両手を合わせて祈祷しました。そこで悟りました。真のお母様も今この瞬間、私たち子女を慕われ、その愛で一日一日を耐えておられるということを。慕しさの中に咲くその愛こそ、世界を抱く「孝情」だということを知りました。

Q. 目的地に到着した時は感慨深かったと思いますが?
秋夕期間だったので、正直誰もいないと思っていました。ところが拘置所に着くと、すでに多くの食口が精誠を捧げておられました。その姿を見た瞬間、長い旅の疲れが雪が解けるように消えました。「お母様のために歩いて来たこの道は、無駄ではなかったんだな」温かな微笑みで迎えてくださる食口の姿に、家族の愛と信仰の連帯を深く感じました。もちろん現場には食口でない方々もいました。時には荒い言葉を投げかける人もいました。それでも心の中で静かに祈りました。「いつの日かこの方々も真のお母様の価値を悟り、天の父母様の懐へと戻れますように」 その日、拘置所前の冷たい空気の中で、私はむしろ天の温かな懐を感じました。互いを励まし、心を一つに祈祷するその場は、明らかに「天の家族」が共にした聖なる瞬間でした。
Q. 徒歩精誠が終わった後、周囲の反応は?
徒歩精誠が終わった後、本当に多くの方から連絡をいただきました。「あなた方の話を聞いて大きな力を得ました」「自分も挑戦したくなりました」 その一言一言が私には祝福であり、天からの励ましに思えました。単に82kmを歩いた旅ではなく、その心が誰かにとって希望となり、また別の精誠へと繋がっていったことが何よりの喜びでした。そこで悟りました。精誠は決して独りで捧げるものではなく、愛によって伝わり、受け継がれていくものだということを。
Q. 徒歩精誠の前後で変わった点は?
祈祷も大切ですが、精誠を「行動」に移す時にこそ、本当の変化が起きるということです。一歩踏み出すたび希望が生まれ、その希望が他の人へ伝わっていきました。精誠は心の中に留まるのではなく、動く時に世の中を温かく照らします。この小さな徒歩精誠がより広がり、多くの食口の人生に愛と信仰の火種として残ることを願っています。
Q. これからの計画は?
私たちは神学を専攻し、み言を学び心を鍛えています。今学期が終われば「神トップガン」宣教師として派遣される予定です。どこにいたとしても兄弟姉妹の力となり、家族には信仰の灯台となる人生を暮らしたいです。何より世の前に、愛する真のお母様を堂々と証しします。神トップガンの宣教活動はもちろん、YouTubeや街頭遊説など多様な活動を通して、天のみ旨と真のお母様の教えを広く伝えます。いつでもどこでも、真のお母様が「この子は私の誇らしい子女だ」と仰れるよう、信仰と実践で天の道を歩んでいきます。
Q. 真のお母様へお伝えしたいメッセージ
真のお母様、未熟な私たちですが、真のお母様のためならどんなことでも喜んでさせていただきたい孝情の息子です。今、世が混乱し、周囲の環境が困難であっても、私は文信出・文信興 天愛祝承子と共に、全世界の前に真のお母様を証する真なる天一国の指導者になります。真のお母様、心から感謝申し上げます。そして愛しております。天のご加護と祝福の中で、いつもご健勝であられますよう、切に、心からお祈り申し上げます。 —岡野憲臣—