
この場に立つ機会を与えてくださったことに心より感謝いたします。
実は私はこれまで、この徹夜祈祷会を何度もZOOMやインターネットを通して見てきました。そのたびに「私もあの場に共に参加したい」と思っていましたが、今こうしてここに来ることができました。神様は本当に善なるお方です。
私をこの場に招いてくださったWCLCとKCLC、韓国宗教協議会、家庭連合、そして真の家庭と食口の皆様に深く感謝いたします。また今夜この場に共におられるお一人お一人にも感謝いたします。
特に本日、真のお母様に直接お会いできたことに対して、より一層感謝の思いを抱いています。拘置所に入る時、正直に言って何を期待すべきか分からず、少し緊張もしていました。
しかしすぐに、「なぜ私は緊張しているのだろうか」と思いました。私たちはそこで互いに真の愛を分かち合うために行くのですから。
真のお母様にお会いする前から、すでに私たちの間には深い絆が形成されているように感じました。そして実際にお会いした時、その絆はさらに深まりました。その点を本当にありがたく思います。
今週、イ牧師とキム教授の講義を聞き、私は大きな感動を受けました。私たちは非常に興味深く、重要な内容を多く学びました。その中からいくつかを少し分かち合いたいと思います。
私たちは世界各地から集まった聖職者達と一つとなり、真のお母様のために祈り、教授の方々の講義を聞きました。それは単なる学問的な講義ではありませんでした。深く省察する時間であり、心が目覚める時間でした。
私たちは既に皆様がお聞きになったように、韓民族選民大叙事詩について共に学びました。その内容は非常に印象深く、私は真のお母様にお会いした際にこう申し上げました。「真のお母様、私は今週、選民大叙事詩について学びました。」そして「この内容はもっと多くの人々が聞くべきです」とお伝えしました。
もし世界中の人々が神様についての真理、イエス様についての真理、そして選民大叙事詩と聖霊の働きについて知るなら、この世界はどれほど変わるでしょうか。私たちはどれほど変わることができるでしょうか。
私たちは今、聖霊がどこから来られるのかを知っています。また神様が私たちが聖霊を感じ、私たちの内に迎えることを許してくださるということも知っています。
私個人としても大変感謝している経験があります。私は9歳のときに聖霊を受けました。そして今に至るまで、神様が私と共に歩んでくださり、語りかけ、癒やし、数えきれないほどの瞬間に私を救ってくださったと信じています。
私が経験したすべてをここで語ることはできませんが、私が体験したように皆様も体験することができます。すでに多くの方々がそのような体験をされていると思います。
今週、私たちは韓民族選民大叙事詩を共に学びました。韓民族は神様の摂理の中で形づくられてきた民族です。摂理と忍耐の中で形成され、苦難の中でも耐え、深い心情を抱いて生きてきた民族です。そして神様の御旨を理解し、それを成し遂げるために努力してきた民族です。歴史を振り返ると、神様は常に備えられた人々を通して世界を祝福してこられました。
また、私たちが生きている今日の文化も変化しています。これも今週、イ牧師の講義を通して学んだ内容です。今、世界的に文化が変化しており、その変化はメディアやさまざまな媒体にも現れています。現代の文化は次第に感情中心の文化へと形成されています。
時には敵対的な勢力が私たちの心と思考を混乱させ、どこへ行くべきか、どこから力と助けを得るべきか分からなくさせることもあります。
そのため現代の文化は、人々に自分の感情と向き合わないよう教えます。過去を忘れ、痛みや苦しみも忘れるようにと言います。そしてすべての問題は共同体が解決してくれるかのように語ります。
しかし私たちは過去を忘れてはなりません。そこから学び、そこから成長するからです。また神様の善がどこから来るのかを忘れてはなりません。
悔い改めなしに真の和解は成り立ちません。私たちは過去を消し去るのではなく、そこから学び、その過程を通して成長します。感情を抑え込むことは霊的に自然なことではありません。
真の回復は、私たちの心が神様へと立ち返るときに始まります。神様は私たちに考える力を与えてくださいました。ロボットのように生きるためではなく、分別し、祈り、選択できるように創造されたのです。神様は私たちが世の流れや文化の波に流されて生きるためではなく、神様に仕えて生きるように創造されました。信仰は弱さではありません。むしろ神様にしっかりと根ざした力です。
今この時代に私たちが最も必要としているのは、真のお母様を心から愛する神の子女として、とりなしの祈りに進み出ることです。
皆様が真のお母様のためにとりなしの祈りに入るなら、神様は必ず働かれると私は信じています。神様が真のお母様のために奇跡を起こされると信じています。私たちは形式的な祈りや習慣的な祈りを求めているのではありません。真のお母様ために代わって立つ、とりなしの祈りを求めています。謙遜な心で、信仰を込めて捧げる祈祷です。天は私達が捧げる祈りを聞かれ、必ず応えてくださいます。
真のお母様のために祈る時、私たちはとりなしの祈りの場に入らなければなりません。私の祈りはこのようなものです。神様の聖霊が私たちの中に聖なる御手をもって臨まれますように。形式ではなく真の臨在、作られたものではなく柔らかく明確な神様の臨在が私たちの中に現れますように。その聖霊の臨在が私たちの心と魂、思いの奥深くまで浸透しますように。なぜなら聖霊が真に働かれるなら、その働きは一か所にとどまらないからです。
私たちが愛する真のお母様は本当に強い方です。まるでこのように語っておられるかのようです。「さあ、今こそ仕事を始めよう。これ以上、恩讐が私を抑えつけることのないようにし、神様に仕え、神様が望まれることを続けていこう」ですから私たちは、神様の霊が私たちの家庭と学校、教会、そして働くすべての場に臨まれることを願います。
そして最後に皆様にお伝えしたいことはこれです。私たちは神様の子女であり、神様が望まれることをそのまま実現していこうとする存在です。
ありがとうございます。神様の祝福が皆様の上にありますように。