聖婚、地上で小羊の婚宴が開かれる

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このみ言は、真のお母様の自叙伝「人類の涙を拭う平和の母」から抜粋したものである。<編集者注>

 二千年前、イエス様は地上に来られました。イエス様は新婦を探して、真の父母とならなければなりませんでした。しかし、そのみ旨を果たすことができないまま、十字架にかかって亡くなってしまったのです。どれほど惨めな心情を味わわれたことでしょうか。イエス様が再臨してまず初めになさることは、新婦を探すことです。真の父母なくして天宙に満ちた恨を解くことはできず、神様のための勝利の基盤を築くこともできません。

 私が聖婚した日、それは神様が勝利された日であり、失われた栄光が取り戻された日です。そして、人類が真の母と共に生きることができるようになった、喜びの日です。

文総裁は数えで十六歳の時、平安北道の定州にある猫頭山で、イエス様から使命をお受けになりました。しかし、その使命を果たすに当たっては、過酷な試練が与えられました。日本留学時代はもちろん、解放後、北で新しいみ言を伝える時も、人間として耐え難いあらゆる苦難を経験されたのです。共産党の悪辣な弾圧によって監獄に入れられ、生死の境をさまよわなければなりませんでした。

しかし、興南の徳里特別労務者収容所(興南監獄)で生死の岐路に立たされていた時、国連軍によって劇的に救出され、天が下さった使命に向かって再び出発することができたのです。

文総裁はその後、釜山を経て、ソウルに定着されました。しかし、試練は休むことなく訪れ、また濡れ衣を着せられて投獄されました。その凄絶な歩みは、神様が準備した独り娘に出会い、「小羊の婚宴」の日を迎えるまでの蕩減路程でした。

統一教会の信徒たちもまた、つらい試練を経験しました。しかし一九六〇年を迎え、名状し難い喜びと希望に彼らの胸は躍っていました。それは、文総裁が生まれて四十年になる年であり、神様の最初の息子、娘である独り子と独り娘の聖婚が成される祝福の年でした。

春たけなわの一九六十年三月二十七日、陰暦では三月一日の午前四時、文総裁と私の歴史的な佳約式(約婚式)が行われました。招待されたのは男女四十数人ずつでしたが、天の新婦を一目見ようと信徒が押しかけ、ただでさえ手狭な青坡洞教会が人であふれ返りました。佳約式は一部と二部に分けて挙行され、文総裁の祝祷によって、神聖な雰囲気の中、幕を閉じました。

私と文総裁の佳約式には、深い意味があります。聖書で言う人間の六千年の歴史は、真の父母を迎えるための悲痛なる路程でした。真の父母と出会えなかったことが、それまで全人類にとっての悲しみでしたが、この佳約式によって、その悲しみが終わったのです。まさに、祝福の日でした。

聖婚式は、佳約式から半月後の四月十一日、陰暦三月十六日の午前十時から行われました。全国の教会から選ばれた約七百人の信徒が青坡洞教会に集まる中、意義深い聖婚式が盛大に挙行されたのです。佳約式の時よりもさらに大勢の信徒が集まったため、教会は足の踏み場もないほどでした。周りの路地も、教会内に入れない人々で埋め尽くされました。

式場は、教会の礼拝堂をきれいに飾りつけて準備されました。壁と床を白い布で覆い、玄関から入って左手に壇を作りました。白いチマチョゴリを着て長いベールをかぶった私は、新郎である文総裁と腕を組み、聖歌「宴のとき」に合わせて二階から降りていきました。こうして、歴史に永遠に残る聖婚式が、祝賀客の熱い歓迎の中、挙行されたのです。

聖婚式は、その意義と価値から見て、万民が称え、栄光と賛美を捧げるべき大きな慶事でしたが、その背後には、むしろ胸痛い出来事のほうが多くありました。キリスト教会からの告発によって、文総裁は聖婚式の前日も、夜の十一時まで内務部で屈辱的な取り調べを受けられました。しかし、文総裁と私はそれまでの痛みをきれいさっぱりと忘れ、平安な心で「小羊の婚宴」に臨んだのです。

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